あれから26年。
インターネットで情報収集できなかった時代に、日本に居ながらホームステイ先を探して、片道切符の飛行機に乗ってベルギーへ入国。
ステイ先からレース会場まで地図を片手に、歩いている人へ会場の場所を聞きまくりながら、やっとの思いでスタートラインついていた10か月間。
その当時も海外へ行くこと自体は、珍しくもなんともなかったはずなのに、いまでもこのネタを人に言うと、びっくりされるぐらい実は留学が身近じゃない。
テレビやらネットを見ると、だれでも気軽に行ってるのかと思いきや、そうでもないみたい。
コロナ渦で、海外のレースに出る選択肢は、無いに等しいかもしれませんが、もしチャンスがあるなら絶対に行った方がいい。
ベルギーの草レースは異次元でした。
日本とはすべてが違う自転車を取り巻く環境。
自分の人生において、これ以上刺激的で、価値のある10か月はありませんでした。
26年前、ベルギーへ自転車留学に行ってきた。

外国人なので何の実績がなくても、国際レースに出場できた。
なぜベルギーだったのか
それは、JCF(日本自転車競技連盟)に国際ライセンスを1枚発行してもらえでば、それをレースの受付に提出するだけでレースに参加できるから。
フランスなんかは、地元クラブチームに入らなければレースに出られず、まずクラブに入るコネクションが必要です。
もちろんそんなコネクションなんかあるわけなく、とりあえずレースにでられるベルギーに行ったのです。
当時の日本は自転車をやってるというと「競輪ですか?」と回答が返ってくるほど、知られていなかった。
自転車を知っていたとしても「ツール・ド・フランスには出ないんですか?」と質問してきた世の中。
こんな国イヤだ!
と思ったのがきっかけ。
NHKでツール・ド・フランスを見たとき、あの観客の多さと「競輪ですか?」の差に耐えられなかった。
自転車レースがメジャースポーツの国に行きたい、そこでレースがしたいと単純に思っただけ。
別にプロ選手を目指したいわけでもなく、ただ自転車が浸透した文化に触れたかった。
チームラバネロやNAKAGAWAで活躍していた上坂卓郎選手が連載していた自転車雑誌のベルギー滞在記事を見て出版社に手紙を送り、ステイ先見つけました。
その当時19歳。
初飛行機、初海外、初レース
飛行機に乗ったこともなかったけど、いきなり12時間フライトのベルギー直行便に一人で搭乗。
ブリュッセルの空港では、ステイ先のご主人フランツさんが待ってくれていました。
ベルギーに到着のその週から、レースに参加。
一番驚いたのは、すべて当日受付だったこと。
日本の草レースは、今もそうかもしれないけど、1か月前にエントリー締め切り。
しかも¥5,000以上?
ベルギーは30円。
一旦530円ぐらい払いますが、使いまわしのナンバーを、レース終了後に返却すると500円を返してくれます。
信じられない安さ。
しかも、レースは平日も開催されます。
ケルメスという「お祭り」のイベントの一つとして平日でもロードレースが開催されているのです。
そのイベント業者が運んでくる移動遊園地の遊具で、町のこどもたちが遊びます。
平日なのに、レースは観客でごった返し、その当時東洋人はめずらしくスタート前に
「一緒に写真を撮らせてくれないか?」
と言われ、まるでスター気分。
地元のレース大好きおっさんが、完走すらできないボクに
「あいつは、もとツール・ド・フランスで区間優勝しているやつだから、あいつをマークしろ」
と、話しかけてきたり(たぶんそんなようなことを言っていた。おっさんはフラマン語)。
何もかもが違っていました。
日本は日本式
日本のように、誰も見ていない超山奥の自転車専用のサーキットでレースするのとは全く違います。
あれを自転車レースと思ってはいけません。
本場からすれば、日本のレースはかなり特殊。
ベルギーでは出場するレースすべてコースが違うし、すべて公道です。
日本では実現不可能ですから、日本で自転車レースを広めていくには、日本独自のやり方でないと難しい。
ヨーロッパで行われているローカルレースの情報までは伝わってこないので、情熱があって身の回りの環境が許せば、1レースだけでも出てみると見えてくる世界が変わります。
本当は確認だった
平日にこんなに人が集まるのは失業率20%だから(当時)
衝撃的に違う自転車文化
自転車周辺環境に違いは、とっても刺激的でした。
やっぱり自転車レースがメジャースポーツな国ってあるんだー。
と、自分がめちゃくちゃ好きでやってることに自信が持てた瞬間でした。
「オレがやっていることは、誰も知らない超マニアックで、変わったやつが集まるスポーツじゃなくて、華やかで、カッコイイスポーツなんだ」って。
きっと、このことを確認したかったんだと思いました。
裏を返せば、それぐらい日本ではひどい印象だった自転車競技。
気が付いてしまったことは、日本のロードレースがロードレースではなかったこと。
ベルギーだとジュニアのレースにもならないような距離で争うのが実情。
(昔は、実業団選手が出るのに40㎞なんて距離のレースもあった)
レースが全部家から遠い。
エントリー料金がめっちゃ高い。
誰も知らない。
日本では受け入れなくてはいけないことだけど、帰国後にロードレースが嫌になってしまった原因でもありました。
参考記事>>>自転車レースはツール・ド・フランスだけじゃない!
意外と少数派
あれから26年もたったのに、今こんな話をしても珍しがられる。
10か月も外国に滞在した人も周りにはいないし、自転車仲間でも海外のレースを走った人にほとんど会ったことがない。
だから、いまからコロナ後に海外でレースをする準備をすれば、希少な体験ができる。
もし、これを読んでいるのが若者だったら、海外でレースしてみるのは絶対おすすめ。
そりゃ、レースのペースは速いし、とてもフィニッシュまで走れない。
日本と違って路面はボッコボコ。
(振動吸収性がいいフレームってこういうところを走るとわかる。日本のような鏡のような舗装で、振動がどうのってどうでもいい話…)
ロードサイクリストにとって恐ろしい「縦の溝」だってバンバンある。
でも、これこそがロードレース。
経済的には先進国に住んでいるけど、自転車では打って変わって後進国に住んでいることがよくわかります。
参考記事>>>暗黒のロードレーサー時代と黄金のロードバイク現代
まとめと語学
実は自転車よりもおもしろかった
この時、正直自転車レースより面白かったのが語学。
語学の準備なんかまったくのゼロで行ったけど、知っている英語で外国人に通じるのが、めっちゃ感動しました。
もっと勉強して、自分の言いたいことを満足に伝えられたら、そして相手の言っていることが分かったら、なんて面白いんだろうって。
文化がこれだけ違うから、考えていることも違っていて当然。
どんな考え方なのか知りたい。
そんな思いで、自転車乗っている以外の時間は英語の勉強に費やしました。
でも、たった10か月では対して成長することもなく帰国。
英語からは離れてしまいました。
その後も勉強を再開しては、挫折を数回繰り返して、今は3年続けられています。
これも、あのとき外国に行ったから。
26年後の今でもあの時の体験が、自分人生に影響を及ぼしているなんて不思議。
チャンスに気付けない
あの時だったら、行けたのに。
チャンスは逃してから気が付くことも多いです。
”海外でレースすることは、プロ選手になる人だけがやること”
のような風潮はありますが、趣味でレースに出ている人は本場にもいるわけです。
趣味でやっているわけだから、スタンスとしては同じ。
さあ、いまからアフターコロナに向けて、出国する準備開始!
コメント
Tシャツカッコいい!
「80」ってやつですか?ありがとうございます!
全記事読ませていただきました。先日ヤフオクでgios puredropを安く入手して、ロード平地でも50km/h超とすごく速く進むので、シクロってどうなんだろうと思った時、こちらにたどり着き、シクロオールマイティー説を拝見し同感した次第です。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
50km以上だせるのは、Shonan no Ossanさんの実力があるからだと思います!